【目次】
この会は、本手引きを作るために2024年に結成され、月に1度の筑波大学東京キャンパス(茗荷谷)での会合と、オンライン会議、メールやTeamsを駆使した情報交換を通して活動をしてきました。
この会の発端は、脚本家・演出家である藤井清美が、障害がある俳優の育成に関わり、彼らが実際に仕事をする様子を見ている中で、現場との情報共有の難しさ、またエンターテインメント業界がこれまで障害がある人と関わった経験をあまり持たないために起きる誤解、それによって障害がある俳優が本来持っている実力を出し切れない状況を認識したことに始まります。
エンターテインメント業界に必要なのは、障害に対する理解と専門的な知識を持った人の協力ではないか——と考えた藤井は、母校である筑波大学の伝手を辿って、障害がある人の生活支援が専門である大村美保助教に意見を求めます。
大村は、藤井による障害がある俳優志望者へのレッスンを見学し、彼らが活躍するのは遠くない未来であることを感じ、協力を申し出ました。そして「エンターテインメント業界でプロとして活躍するのであれば、それは仕事として働ける条件を整えることだ」という考えから、障害者の就労支援に関して豊富な経験を持つ今井宏美、同じく就労支援センター勤務であり筑波大学大学院に籍を置いていた藤田麻梨子、筑波大学大学院生の水田朱音をメンバーとして集めました。
会が始動して浮き彫りになったのは、エンターテインメント業界ならではの特殊な職場環境です。毎回通う場所・一緒に働く人が違う、急な変更が起きる可能性がある、指定された衣裳を着用する必要がある・・・等、障害がある人には対応が負担になる事柄が多い中、一つ一つに関して、一般の就労支援の現場での知見、アクセシビリティの面では先を行く筑波大学の例などを参考に、解決の道を提示できるように検討をしていきました。
この間にも、障害当事者のドラマ・映画・舞台への起用は続き、そこでの事例も取り入れながらわたしたちは手引きを練っていきました。
同時に、海外での当事者キャスティングの現状、また指針・目標とされていることを調査するため、水田とともに、留学から帰国した筑波大学大学院生である鈴木葉菜が参加し、各国の状況をリサーチして手引きに活かしています。
誰に頼まれたわけでもない仕事ですが、原稿が一通りできあがった時点で下読みをしてくださった障害がある俳優・俳優志望者からの言葉は、わたしたちにとってとても嬉しいものでした。
エンターテインメント業界が、障害がある人にとって新しい職場として定着し、多くのあとに続く世代に希望を与えることを願って、わたしたちの自己紹介に代えさせていただきます。
メンバー(五十音順、所属は2025 年3 月末現在)
今井 宏美 精神保健福祉士・公認心理師
2005 年から約18 年間、障害者就業・生活支援センターにて勤務。障害のある方の「働く」と「働き続ける」をサポートしてきた。就業支援で培ったノウハウを基に手引きづくりに活かしている。
大村 美保 大学教員・社会福祉士
筑波大学人間系。障害のある人のインクルージョンとメインストリーミングを中心にソーシャルワーク実践と研究を行う。全国社会福祉協議会で社会福祉のキャリアを開始、大学院進学後は研究修行の傍ら相談支援専門員として従事。国立のぞみの園研究員を経て現職。旧優生保護法補償金等認定審査会委員など行政組織の委員も務める。
藤井 清美 脚本家・演出家
筑波大学卒。劇団青年座で演劇のキャリアを始め、その後、小劇場から商業演劇まで広く活動する。2000 年頃から映像の脚本にも進出。劇団退団後は、演劇・映画・ドラマの脚本執筆、舞台演出など多岐にわたって活躍する。また、2022 年より障害がある俳優への演技レッスンを開始し、培ったノウハウの共有にもつとめている。
藤田 麻梨子 筑波大学人間総合科学学術院リハビリテーション科学学位プログラム博士前期課程・社会福祉士・精神保健福祉士
地域の障害者就労支援センターに勤務しており、障害がある方の就労支援、障害者雇用を検討している企業支援に携わっている。筑波大学大学院にて障害がある方の就労について研究を行う。
水田 朱音 筑波大学人間総合科学学術院障害科学学位プログラム博士前期課程
広島大学教育学部特別支援教育教員養成コースを卒業後、筑波大学大学院へ進学。知的障害児・者に対する就労支援やキャリア教育を学ぶ。
[ 海外文献調査 ]
鈴木 葉菜 筑波大学人間総合科学学術院障害科学学位プログラム博士前期課程・社会福祉士
2023 年筑波大学人間学群障害科学類卒業。同大学院博士前期課程1 年次に米国南インディアナ大学に留学し、ソーシャルワークやアディクションカウンセリングを学ぶ。
障害の害の字をひらがなにした「障がい」という表記や、「害」のもともとの漢字であった「障碍(障礙)」という表記を目にすることがあります。「公害」「災害」など「害」にはネガティブなイメージがあるので、障害のある人をそのような存在として見ていないという意味で「障がい」が使われるようです。
この「手引き」では、「障がい」ではなく、「障害」と表記しています。その理由は3点です。
1点目は、障害の社会モデルを採用しているからです。障害の社会モデルとは、その人の置かれた物理的環境や人的環境、ルール、慣習などの社会的障壁によって障害が起きるという考え方で、社会の側に働きかけて社会的障壁を取り除くことを目指します。つまり、本人の心身機能が問題なのではなく、様々な制約や不公平をなくすため、社会的障壁を除去しようという考え方です。
2点目は、日本の法律が「障害」表記であるからです。日本の障害者施策の基本となる理念法「障害者基本法」をはじめ、「障害者総合支援法」「障害者雇用促進法」「障害者虐待防止法」など、どれも「障害」表記です。法律では社会的障壁の除去を必要としているという意思の表明があった場合に社会的障壁の除去を行うよう規定しており、障害の社会モデルに基づいた障害概念を使用しています。
3点目は、「障がい」表記による効果が限定的であるからです。「障がい」と表記すると、ポリティカル・コレクトネス(社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された対策)の面からは確かに特定の人たちの感情に対して理解のある姿勢を示せますし、しかも小さな費用で済みます。しかし、そのことで障害のある人たちの生きづらさや困難が解消するのかは疑問が残ります。この点で、「感動ポルノ」という言葉を創り出した障害当事者であるステラ・ヤングさん(故人)は明快です。彼女はTEDトークで「階段の昇降に苦労しているときにどんなに微笑んでも、階段はスロープに変身しない」「どんなに感じ良く本屋で佇んでいても、本が点字に変わることはない」と話しました(https://digitalcast.jp/v/20158/) 。思いやりや優しさのポーズを取るだけでは障害のある人の困難を解消できないことを端的に表現しています。
この「手引き」は、障害のある俳優が制作現場で活躍し、最大限に作品の魅力を高められるよう、社会的障壁を取り除くことに主眼を置いています。
本手引きの作成に当たり、障害がある俳優さん・俳優志望者さん、その保護者や事務所のスタッフの皆さん、障害がある俳優の芸能活動をサポートした経験者、家族会・当事者団体・障害福祉関係団体の方、特別支援教育に関わる教員経験のある方、大学教員、現役の演劇・ドラマ・映画のプロデューサーの皆さん、俳優及び芸能事務所関係者諸氏に下読みをしていただきまして貴重なご意見を頂戴し、最終的な記述の工夫や内容の見直しをさせていただきました。
ここに謹んでお礼を申し上げます。